2015年12月5日土曜日

日常小ネタ:ゴミがあふれる些細なこと

 普段はあまり気づかないけれど、溜まってくると厄介さに気づく「ゴミ」。
何の気なしに生活しているといつの間にやらゴミの吹き溜まりができていた、そんなこともままあると思います。
そんなゴミあふれの状態は、些細なきっかけがはじまりなのかもしれません。


 通常、ゴミはゴミ箱に捨てます。
最近は分別がほぼ必須となっているため、ゴミ箱ではなく廃棄用のゴミ袋をそのかわりにしている場合もあると思います。
これ自体はゴミを廃棄する準備、ということでそれ自体はそうそう問題とは言えません。

 ただ、そのゴミ箱やゴミ袋をどこに置いているか、どう処分しているか、ということがゴミが溢れるか溜まらないかを分けるポイントになる場合が多いようです。
経験則として、居室にゴミを1つでも放置してしまうと、いずれそこが大きなゴミ集積場になってしまいます。
これはゴミをむき出しにした場合のみならず、ゴミ箱やゴミ袋といった「ゴミがあることを連想させるもの」があっても起こるようです。
「いずれ捨てるから仮置きをしよう」というのも、それが捨てられるまでは同じ効果をもたらすことになります。

一番良いのはゴミを増やす行為をしないこと、なのですが、何を買っても大小さまざまな包装や保護部材がついてきますし、使い捨てが多いので廃棄スパンも早くなりがちです。
なので、できるだけゴミ箱・ゴミ袋の類は居室以外の場所(ただし日に何度かは目に留まるところ)に集積するようにし、ゴミ収集の日には欠かさず出す、というのが方策になるでしょう。

人間(もしくは動物?)の本能からか、目に留まるところに物があるとそこに別の物を置いてしまう、という習性があるようです。
これはゴミなどの不要物についても例外ではなく、そこにゴミがあれば新たなゴミを置き続けてしまう(捨てる、ではなく!)ということが起こるのです。
このあたりは、日本中どこでも見られる「街なかに1つゴミが置かれると、数日後にはゴミの小山やゴミオブジェ通りが出来上がる」という下劣な無作法を見ればわかると思います。

で、これがどんどん進行していくと、ゴミの上にゴミを重ねて居住領域を塞いでしまう「汚部屋」とか「ゴミ屋敷」といったものが出来上がってしまうわけですね。
(ただ、ゴミを「大事なもの」と言ってしまうのは、この習性に加えて、ゴミが大事なものの境界線を侵してしまった事による「価値のすり替え」も関係していると思われますが)


 この考えは、物を溜め込み過ぎて収納に困る、という問題にも関連しているように思います。
ただしこれは、ゴミとは逆にしまい込んで目に留まらないから同じような物があるのに気付かず、そこに日本人独特の「もったいない」が絡んで気づいても処分しない、という悪循環が続くわけですね。
なお意外かもしれませんが、カーテンなどの目隠しで収納物を見えないようにする、とか、高い位置に棚を作って内容物が見えにくい状況を作ってしまう、という事もものを散らかす要因の1つになりうるようです。
収納が目に留まる距離にあっても、その中身が目に留まらなければ無いも同然、ということですね。

最近では物をほとんど置かない「ミニマリスト」というのも増えているようですが、わりと道理にかなった生活様式なのかもしれません。

で、こちらについては、ゴミとは逆で「中身を把握し続けること」が重要になります。
定期的に収納を見て中身を改めておくとか、積極的に取り出して使用する、などですね。
そうすればどこに何があるかを把握できますし、「どうも使いどころがないな」と感じるならリサイクルショップに持ち込んだりゴミとして処分したりもやりやすくなります。


 しかし、どうしてもゴミや物が溢れてしまう状況が発生することがあるかもしれません。
断捨離などの不要品廃棄・収納整理でも片付かないその時は、引っ越し・リフォーム・建て替えを考える時なのかもしれません。

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